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JORAKUJI
Jorakuji denomination

JORAKUJI
法然
「法然房」源空 長承2年~建暦2年(1133~1212) 一般には法然上人と呼ばれています。長承二年(1133)4月7日、現在の岡山県久米郡久米南町にお生まれになりました。幼名は勢至丸。父親の漆間時国が夜討ちを受け遺言で「恨みの連鎖を離れるように」と復讐の断念を勧め、出家なされました。非凡な能力と向学心を見せ、数々の師のもとで勉学に励み、この世で苦しむ全ての人々が分け隔てなく救われる方法はないのか?と、その道を求め続けました。みずから経蔵にこもり、「一切経」という経典の大全集数千巻を紐解いて何度も読み返しました。 そんな法然上人は、周りから当時の日本一の学僧が集う比叡山にて「知恵第一の法然房」ともてはやされましたが、やはり誰もが救われる教えとは巡り合えずにいました。そんな中、中国の善導大師著作観経疏「一心に専ら弥陀の名号を念じて、行住坐臥の時節の久近を問わず、念々に捨てざる者、これを正定の業と名づく、彼の仏の願に順ずるが故に。」に出会い、ただひたすら念仏を称えれば阿弥陀仏がすべての人を救ってくださることを悟ったのです。承安五年(1175)春、上人四十三歳のときのことでした。
JORAKUJI
日々の暮らしの中に、お念仏を
嬉しい時も、迷う時も、悲しい時も。
「南無阿弥陀仏」と称えることで、
自らの心を見つめ、阿弥陀如来におまかせして生きていく。
浄楽寺では、お念仏を通して、
皆さまが毎日を「明るく、正しく、仲よく」過ごしていただけることを願っています。
南無阿弥陀仏

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